三日坊主
日記でもブログでも三日と続いた試しはない。
情けないことである。
内省の気が薄いのか、こういうことは続かない性分なのである。
思慮、心が浅いゆえのことなのだろうか、何か気遣いが多すぎるのか、
昔からこういう傾向が強い。
三つ子の魂百までというが、その通りだと思う。
幼児期、少年期の自由闊達な教育が大切だと痛感する次第である。
暗記よりも、内より燃え上がる内省的なエネルギーが重要であろう。
己が何をしたいのか。
十代、二十代で導きをしっかり見つけて、信ずるところを攻めていけば良い。
我が身を振り返るに、さてどこまで攻めたか、己の位置からここまで来られたのか、さて、次はどこに攻めるのか、じっくり身の振り方を考えたいのだ。